海辺の町に、小さな水族館がありました。

大きな水槽はありません。
イルカも、ペンギンもいません。

近くの海で捕れた魚が、古い建物の中を静かに泳いでいました。

夏の終わり、館長は夜の水族館を開くことにしました。

館長は、広報を担当する若者を呼びました。

「夜の水族館を始めるから、ポスターを作ってくれないかな」

若者は尋ねました。

「どのような夜にしたいのでしょうか」

館長は少し考えました。

「夜の水族館だからね。きれいな感じがいいんじゃないかな」

若者は、ほかの水族館のポスターを集めました。

青く光るクラゲ。
満月の下を泳ぐ魚。
銀色の文字で書かれた「幻想的な夜」。

それらを少しずつ参考にして、きれいなポスターを作りました。

翌朝、若者は館長の部屋へ持っていきました。

館長は、しばらく黙って眺めました。

「魚を、もう少し大きくしてもいいかもしれないね」

若者は魚を大きくしました。

「文字は、少し明るいほうが見やすいかな」

若者は文字を白くしました。

「子どもも来やすい雰囲気があると、いいんじゃないかな」

若者は、笑っている親子の絵を加えました。

館長は、またしばらく眺めました。

「少し、にぎやかになったかな」

若者は親子の絵を小さくしました。

館長は穏やかな声で続けました。

「入口だけではなく、駅にも貼ってみたらどうだろう」

若者はポスターを抱え、駅へ向かいました。

隣の町にも、小さな水族館がありました。

そこでも、夜の水族館を開くことになりました。

館長は広報担当者を呼び、こう言いました。

「昼間は、子どもの声でにぎやかだ。夜は照明を落として、魚の動きと水の音を静かに見てもらいたい」

館長は、もう少し続けました。

「高校生以上を対象にする。人数を絞り、九十分だけ開ける。解説も音楽もいらない」

担当者は尋ねました。

「ポスターは、どのように作りましょうか」

館長は答えました。

「それは、君が決めてくれ」

担当者は一人で、水槽の前に座りました。

魚の影を見ました。
暗い館内に残る青い光を見ました。
水が流れる音を聞きました。

町を歩き、人が足を止める場所も確かめました。

そして、黒い紙の中央に、小さな魚の影だけを置きました。

文字も、少ししか入れませんでした。

「夜の水族館。魚と水の音だけ」

館長は、完成したポスターを見ました。

自分なら、もう少し文字を大きくしたかもしれません。
駅にも貼ったほうがよいと思いました。

けれど、何も言いませんでした。

ポスターは、担当者が選んだ場所に貼られました。

最初の夜、来場者は多くありませんでした。

担当者は、どこで人が立ち止まり、どこでは通り過ぎたのかを見ていました。

次の年、担当者はポスターを少し変えました。

その次の年には、町の人が、夜の水族館の日を待つようになりました。

一枚目のポスターは、館長の好みに近づきました。

二枚目のポスターは、担当者の仕事になりました。