カルテ記載(medical record documentation)は、診療の過程と判断を他者に伝えるための医療文書です。しかし現場では、口語表現や推測が混ざり、「読めるが伝わらない記録」になっていることがあります。今回は、僕が臨床で「あれ?」と感じた記載をもとに、SOAPと医療記録の整え方を整理します。僕の現場感覚としては、カルテの一行で診療の質が見えてしまうことがあります。
カルテ記載で気になる違和感
僕はカルテを読んでいて、時々「あれ?」と手が止まることがあります。
内容が間違っているわけではないのに、どこか引っかかる。そんな違和感です。
忙しい現場で書かれた記録ですから、多少の揺らぎは当然あります。
ただ、その揺らぎの積み重なりが、診療の質やチームの思考の癖をそのまま映してしまう。そう感じる場面が増えてきました。
ことばの温度
爆睡している
大腸内視鏡検査は拒否
リハビリをすごくがんばっている
ご飯、バクバク食べる
意味は伝わります。
しかし、どれも少しだけ「書き手の感情」が乗っています。
熟睡している
希望されなかった
リハビリに積極的に取り組んでいる
食事摂取は良好
こう書き換えると、同じ内容でも印象は変わります。
カルテは感情を排除するための文書ではありませんが、少なくとも「観察の言葉」で書くほうが、読む人の解釈の幅が狭まります。
文体を整える
いちお熱は下がった
鉄剤を処方して1か月後に血液検査!
こういう記載も現場では見かけます。
ただ、カルテは診療記録であると同時に法的文書でもあります。
一応、発熱は改善
鉄剤を処方し、1か月後に血液検査を予定
句読点の位置や語尾の整え方だけでも、文章の安定感は変わります。
私はここで一度立ち止まって考えます。これは「自分のメモ」なのか、それとも「他者と共有する記録」なのか。
観察と推測を分ける
廊下にて転倒
目撃していなければ、これは推測です。
廊下で倒れていたところを発見、と書くほうが事実に近い。
痛み自制内
この言葉を見ると、私は少し考えます。本当に痛みはないのか、それとも我慢しているのか。
痛みの訴えなし、と書くと、少なくとも観察の範囲は明確になります。
カルテは「真実を書く場所」ではなく、「観察した事実を書く場所」です。
ここを曖昧にすると、後から読み返したときに解釈が揺れます。
評価ではなく事実を書く
神経質
こう書きたくなる場面はあります。
ただ、この一言は患者の性格を断定してしまう。
質問に対して慎重な様子
繰り返し確認される傾向
こう書くと、同じ現象をより安全に記録できます。
評価ではなく、観察に寄せる。この距離感は意外と重要です。
SOAPを途中で止めない
S)右膝が痛い
O)腫脹と熱感あり
ここで終わってしまう記載。
この時点で、私の中では選択肢が2つに絞られます。
何もしていないのか、書いていないだけなのか。
A)関節炎の疑い
P)鎮痛薬投与、経過観察
この一行があるだけで、診療の流れが見えます。
カルテは結果ではなく、プロセスを残すものだと私は考えています。
画像と数値だけで終わらせない
胸部レントゲンで陰影改善、CRP低下、肺炎改善
整っているように見えます。
しかし実際の診察室では「患者はどうだったか」が抜けると判断に迷います。
呼吸苦の訴えなし
SpO₂正常
この一文が加わるだけで、臨床的な納得感が変わる。
カルテの厚みは、こういう一行で決まることが多いと感じています。
カルテは思考の鏡である
カルテは、誰が見ても同じ診療過程をたどれるように書くものです。
そして同時に、その医療者の思考の癖をそのまま映すものでもあります。
私の現場感覚としては、「読みやすいカルテ」を書く人は、診療も安定しています。
逆もまた同じです。
この整理は、診療の効率を上げるためというよりも、自分の思考を整えるためのものです。
結果として、それがチームの安心感につながるのだと思っています。
前提・分析・結論
前提:カルテは、医療行為の証拠であり、他者と共有する診療記録である。
分析:現場では、口語表現や推測、評価語、省略が混入しやすく、思考過程が伝わらない記録になりやすい。
結論:観察・事実・プロセス。この3点を意識して整えることで、カルテは診療の質そのものを映す記録になる。
こあら先生のひとりごと
患者さんやご家族との関係がうまくいかなくなったとき、カルテはそのまま開示されます。
その文章を、相手がどう受け取るか。
私はそこを一つの基準にしています。