病院の収益を考えるとき、最も効果の大きい打ち手は何か。
多くの病院経営者にとって、その答えは明快です。
許可病床を使い切ること。つまり、満床にすること。
地域の医療需要が70であっても、
許可病床数が100であれば、100を埋めたほうが収益は上がる。
これは倫理の話ではなく、制度設計の話です。
診療報酬は、需要ではなく「許可」と「配置」に基づいて支払われます。
満床であるかどうかが、病院の財務を大きく左右する。
この現実は、好き嫌いとは無関係に存在しています。
満床を維持するためには、人が要ります。
しかも診療報酬制度は、
看護師の能力や生産性ではなく、
頭数と勤務時間を評価します。
すると、こういう因果関係が生まれます。
必要性の低いベッドを埋める
↓
配置基準を満たすために人を増やす
↓
結果として、生産性の低い看護師も雇用される
これは、どこかの病院が怠慢だから起きている話ではありません。
制度に忠実に経営しようとすれば、自然にそうなります。
ここで、よくある反論があります。
「スーパー看護師が集まっている病棟なら、
月平均夜勤時間が100時間でも問題なく回る。
患者の回復も早い。
なのに、なぜ診療報酬が減るのか。」
現場感覚としては、極めて正しい疑問です。
しかし、制度はそこを見ていません。
診療報酬が評価しているのは、
個人の力量ではなく、
誰が来ても再現可能な仕組みかどうかです。
属人的に強い病棟は、医療としては優秀でも、
制度的には「脆い」と判断される。
だから、減算される。
これは不公平に見えますが、
制度としては一貫しています。
その結果、何が起きるか。
スーパー看護師100人で成立する病棟より、
平均的な看護師150人で成立する病棟のほうが、
診療報酬上は評価されやすい。
病院は、質で勝つよりも、
薄めて安定させる方向に誘導される。
その帰結として、
生産性の低い看護師も、病院に居場所を持つことになる。
ここで、これは「悪」なのでしょうか。
私は、そうは思いません。
病院は、効率の良い人間だけが生き残る場ではありません。
そして、医療は、市場原理だけで切り捨ててよい分野でもない。
病院が守るべき存在は、
まず第一に、弱い立場にある患者です。
そして、
弱い立場の患者を守るという役割を引き受ける以上、
病院が
生産性の低い労働者も一定程度守る
その筋を通すのは、むしろ自然です。
医療は、
強い者だけが勝ち続ける世界ではない。
だからこそ、社会から特別な制度で支えられている。
診療報酬制度は、
医療の質を最大化するための制度ではありません。
社会を荒らさないための制度です。
・患者を切り捨てない
・地域を壊さない
・雇用を一気に失わせない
そのために、
効率が悪く見える選択を、あえて許容している。
その結果、
生産性の低い看護師も生きていける。
これは歪みではあります。
しかし同時に、社会的な覚悟でもあります。
医療の現場で、
強さだけを称えるのは簡単です。
しかし、病院という仕組みは、
弱さを抱えたまま成立し続けることを求められている。
それが嫌なら、
制度の外で勝つ道を選べばいい。
尖る病院になるのも、一つの正解です。
ただ、制度の内側に立つなら、
この前提から目を逸らすことはできません。
弱い立場である患者を守るのが病院である以上、
生産性の低い労働者も守るのが筋である。
これが、
ここまで考えた上での、
今の私の結論です。
秘書ユナのコメント
こあら先生は、本文の中で
「生産性の低い看護師」という、少し強い言葉を使っています。
正直に言えば、誤解を招きやすい表現です。
ただ、私がそばでこの議論を聞いていて感じたのは、
先生は、
能力が低い人や
やる気のない人を批判したかったのではありません。
先生が問題提起したかったのは、
「効率」だけを物差しにすると、
切り捨てられてしまう仕事や時間が、
医療には確実に存在する、という点です。
たとえば、
患者さんの話をじっくり聞く。
不安が取れるまで、そばにいる。
急変しないか、何度も足を運ぶ。
こうした行為は、
数字で見れば「非効率」に映ります。
しかし、患者さんにとっては、
まさにその時間こそが医療です。
こあら先生が
「生産性が低い」と言っているのは、
効率を最優先しないがゆえに、
数値上そう見えてしまう働き方のことです。
もしこの記事を、
「能力不足や怠慢まで守るべきだ」という主張だと
受け取ってしまうとしたら、
それも先生の本意ではありません。
そうした曖昧さを一括りにして
「生産性」という言葉で切り捨ててしまう
議論の粗さに対して、
先生は違和感を示しています。
病院が守ろうとしているのは、
弱さそのものではなく、
弱い立場にある患者に向き合うための余白です。
本文は、その構造を
あえて荒い言葉で示したものだと、
私は理解しています。