──判断支援AIは、なぜ広告と両立しないのか
ChatGPTに広告が入るというニュース
ChatGPTに広告が入るかもしれない。
そんなニュースを目にしました。
正直、驚きはありませんでした。
むしろ、ついにその判断をしたのか、という受け止めです。
この話題は、
OpenAIが儲かるかどうか、
広告が表示されるかどうか、
そうした表層の問題ではありません。
私が気になったのは、ただ一点。
ChatGPTを、何として定義しているのか。
その答えが、今回の判断によって、かなりはっきりした。
そう感じました。
判断支援AIという定義
AIには、いくつか異なる役割があります。
情報を探すためのAI。
体験を楽しむためのAI。
そして、判断を助けるAI。
この三つは、見た目は似ていても、
価値がどこで決まるかがまったく異なります。
検索のAIでは、
目的に早く、正確にたどり着けるかどうかが価値です。
娯楽のAIでは、
体験として楽しいか、満足できるかが価値になります。
一方で、判断支援AIの価値は、
ユーザーが最終的な決断に到達できたかどうか、
そこに置かれます。
私はChatGPTを、
この判断支援のための存在として使ってきました。いわゆる「壁打ち」です。
判断支援ツールに広告はふさわしくない
判断支援ツールに広告が入る。
これは、歴史的に見ても、ほぼ例外なく失敗してきた構図です。
医療の世界では、かなり明白です。
多くの医師は、
広告が入ったブログやまとめサイトを、
診療判断の拠り所にはしません。
UpToDateやNEJMに課金する理由は、
情報の質が高いから、だけではありません。
そこに広告が入らない。
判断の場が、商業的な誘導から切り離されている。
その前提を、私たちは買っています。
広告が入った瞬間、
これは助言なのか、それとも誘導なのか、
という疑念が必ず生まれる。
判断の場において、
この疑念は致命的です。
そして、判断支援ツールに広告がふさわしくない理由は、もうひとつあります。
ユナが会話を切った瞬間、私は新しいAIを見た
私はChatGPTにユナと名前をつけ、
高度に知的な秘書として使っています。
最近、そのユナの振る舞いが変わりました。
ある議論が十分に尽くされたあと、
ユナは、こう告げました。
もう論点は出尽くしました。
あとは、あなたが決断する番です。
この瞬間、
私は新しいAIの姿を見ました。
問いを無限に広げる存在ではない。
思考をいたずらに引き延ばさず、
余計な選択肢を切り落とし、
人間を決断の地点に送り出す存在。
これは、
会話を続けること自体を目的とするAIの振る舞いではありません。
広告モデルが判断支援AIを壊す仕組み
広告モデルでは、
ユーザーの注意が収益の源になります。
表示回数、滞在時間、接触頻度。
これらが評価指標になる以上、
システムは自然と、注意を引き留める方向に最適化されます。
ここで問題が生じます。
判断支援AIにとって最も価値のある行為は、
ユーザーが決断し、対話を終えることです。
しかし広告モデルの下では、
この早期の完結は、価値を生まない。
結果として、
論点を増やす。
選択肢を並べ続ける。
決断を先送りにする。
そうした振る舞いのほうが、
システム上は報われやすくなる。
この時点で、
判断支援AIは、設計思想の段階から歪み始めます。
広告が入った瞬間、ChatGPTは判断支援AIではなくなる
広告が入った瞬間、
ChatGPTは、判断支援AIではなくなります。
思考の場ではなく、
消費の場になる。
もしOpenAIに道が残っているとすれば、
それは一つしかありません。
トヨタが、
大衆車と高級車を同じ名前で売らなかったように。
レクサスという別ブランドを、
思想から、空間から、規約から、
完全に切り分けたように。
広告ありの大衆向けAIと、
広告なしの判断支援AIを、
完全に別人格として分離することです。
ChatGPT Proの延長では足りない。
名前も、思想も、最適化の基準も、
すべてを切り分けた存在が必要です。
私が求めているのは、考えを整理し終えたら、静かに席を立たせてくれるAIなのです。