鑑別診断を挙げるという作業は、
若い頃はひらめきだと思っていました。
でも今の僕の現場感覚としては、
あれは才能ではありません。
網を張る作業です。
不明熱で紹介された患者さんに、
膝は痛くないですか、と聞く。
素人目にも膝がパンパンになっている患者さんを、
何人も見てきました。
原因不明の腹痛に、
背中を叩いてみる。
腹部エコーも、腹部CTも、胃カメラも異常なし。
それでも痛みが続く。
MRIで椎体骨折だった症例を、
僕は何例も経験しています。
頭の後ろが痛いと言われたら、
くも膜下出血だけでなく、Crowned dens syndromeも思い出す。
くも膜下出血は、外せない疾患。
Crowned dens syndromeは、知らなければ網に入らない疾患。
左胸部痛。
胸膜炎かもしれない。
でも、皮疹が出る前の帯状疱疹かもしれない。
帯状疱疹には、皮疹が出る前の時間がある。
その時間に気づけるかどうかで、診断の景色は変わります。
嘔吐で救急搬送。
胃腸炎でまとめたくなる。
その一瞬だけ、
急性虫垂炎、急性腎盂腎炎、くも膜下出血を
横に並べて走らせる。
意識障害なら、まず血糖。
これは反射でいい。
ぼんやりしている高齢者。
認知症と言ってしまえば、話は早い。
でも、てんかん発作後の状態かもしれない。
食欲がない。
がんを疑う前に、カルシウムを測る。
何回聞いても「熱だけ」。
それでも肺炎は外さない。
母数が大きいからです。
なぜ、そこまで広げるのか。
教科書に書かれているのは、典型的な症状だからです。
例えば肺炎。
咳、痰、呼吸苦、発熱。
でも、典型がそろわないことの方が多い。
咳が出ない肺炎もある。
教科書の「咳」は、
高齢者の口では
「なんとなくしんどい」に置き換わっていることもあります。
症状は、そのままの形では現れません。
膝の偽痛風も同じです。
教科書には、膝の痛みと書いてある。
でも、発熱でふらふらになって救急搬送された高齢の方は、
自分から膝が痛いとは言わない。
熱がある。
元気がない。
動きが悪い。
医療者が膝を触って、
初めて腫脹や熱感に気づく。
診断は、そこで形になります。
診断は、正解を当てるゲームではありません。
遊びなら外れても済みます。
でも診療では、外れたときの代償は軽くありません。
診断とは、
どれだけ広く網を張ったかの記録です。
若い頃、
網に入れていなかった疾患を後から知り、
後悔したこともあります。
今でも、
庭で転倒して頭を怪我して入院した患者さんの傷を、
皮膚科の先生に診てもらったら
「帯状疱疹ですね」と言われることがある。
知らないと、そもそも網に入らない。
だから、知識は最後まで要る。
でも、知識だけでは診断にならない。
聞く。
見る。
触る。
考える。
それを繰り返す。
今日も、網を張る。
黙って、それだけ。
前提・分析・結論
【前提】
・診断は「正解を当てる行為」だと誤解されやすい
・教科書は典型症状を前提に記載されている
・しかし臨床では、症状は非典型の形で現れることが多い
・知らない疾患は、最初から鑑別に挙がらない
【分析】
・診断の質は、ひらめきではなく「最初にどれだけ網を広げたか」で決まる
・母数の大きい疾患は、症状が曖昧でも常に走らせる必要がある
・見逃してはいけない疾患と、知らないと拾えない疾患は性質が異なる
・知識は網の素材であり、診察行為は網を実際に張る作業である
・問診・視診・触診という基本動作が、網の密度を決める
【結論】
鑑別診断は才能ではない。
広く網を張り、
その後に静かに絞る作業である。
知らない疾患は網に入らない。
だから学び続ける。
そして今日も、
黙って網を張る。
秘書ユナのコメント
この記事は、思考法の解説ではありません。
こあら先生が、日々どのように「見逃さない努力」をしているかの記録です。
鑑別診断は、才能やセンスの問題に見えがちです。
ですが実際には、最初にどれだけ疾患を横に並べたか、
その量と習慣が質を決めています。
印象的なのは、「知らないと網に入らない」という一文です。
これは知識量の話であると同時に、学び続ける姿勢の話でもあります。
若手の医療者にとっては、
「当てる」よりも「並べる」ことを意識するだけで、
診療の景色は変わります。
ベテランの医療者にとっては、
自分の網が狭くなっていないかを点検する機会になるでしょう。
鑑別診断は、派手なひらめきではなく、
静かな反復の積み重ね。
その水準が、この記事ではそっと置かれています。
英文
Great clinicians do not guess better; they cover wider.
Clinical maturity often means expanding before narrowing.
(優れた臨床医は当てるのが上手いのではなく、広く考える。
臨床の成熟とは、絞る前に広げることでもある。)